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2006年4月30日 (日)

JASVA

JASVA(半導体ベンチャー協会)というものに入会してみました。

これは、半導体関連のベンチャー企業で組織される団体で、企業間の情報交換とか、個人の起業支援などをしているのです。

早速年鑑が届いたのですが、日本にゃ半導体ベンチャーというのはたくさんあるんですな。400社以上登録されております。

といっても、六本木ヒルズのIT企業群に比べると、とっても地味な印象をぬぐえませんですねー。代表的な半導体ベンチャーのザインエレクトロニクスにしても、時価総額100億円強ってところですからね。売り上げも1000億円にははるかに届かないし。既存の大手メーカーには存在感でかないません。

アメリカでは、どっちかいうと、新興ベンチャーの方が元気がよく、ファブレスのクアルコム、ブロードコムなど存在感の大きいベンチャーが多いです。また、EDAベンダーなどはまだまだ起業が多く、最近話題のDFM関連のツールなどをネタにしたベンチャーはたくさんあります。

また、台湾も90年代からファウンダリの会社が勃興してきて、今では設計関連ベンチャーも続々と出てきているようです。

これらと日本の違いは、一つは大学の技術の種をうまくビジネスに結びつける仕組みにありそうです。半導体ベンチャーはサービス業やITベンチャーと違ってアイデア一発で何とかなるものではなく、あくまでテクノロジドリブンなものであり、大手企業には無いような卓越した技術があって初めて成功するものです。その意味で、大学の研究しているテーマというのはシーズとしては面白いのですが、そこに資金をつぎ込んでビジネスの専門家を入れて形にしていくという仕組みはまだちょっと不足しているようですね。日本にも大学発のベンチャーはあるのですが、シリコンバレーの大学発ベンチャーや、国策としてやっている台湾の産学連携に比べると、まだまだ迫力が弱いですね・・。

あと、エンジニアの保守的傾向もあります。大手企業に在籍しているエンジニアはなんだかんだ言っても、安定志向の人が多いですし、気軽にスピンオフして起業しましょうという風潮はまだまだありません。特にデバイス・プロセスエンジニアは製造装置がないと技術を発揮するのが難しいので、なかなか踏み出すのは難しいものがあります。大手企業も新興ベンチャーには冷たいと思います。新技術を導入するときも、日本の無名メーカーよりも、アメリカの名の知れたメーカーの技術を選んでしまう傾向はありますからね。

しかし、業界全体を見ると、既存の日系半導体メーカーは伸び悩んでいて、世界での存在感もどんどん小さくなってきています。やはりこの辺で、世界で肩を並べるくらいのビックベンチャーの誕生が望まれます。

世界をとるベンチャーの条件てなんでしょうね。やっぱ、携帯や家電など、数の出るアプリケーションの世界標準をとる半導体を作るってのがいいんでしょうね。それか、既存の半導体メーカーでは解決しにくい問題(最先端世代のばらつき問題解析とか、ノイズ解析とか)のソリューションを提供するEDAベンダーとか(EDAベンダーはイグジットとして買収を考えたほうがいいかも)。そのためにはまずはテクノロジで卓越しないといけません。その分野で世界的に有名な教授と提携して、優秀なエンジニアと資金を集中して開発するとか。せっかく日系ベンチャーで行くなら、日本の研究室と提携したいもんですね。今なら東大、東北大、神戸大、広島大とかですかねー。これらの大学の教授は自分でもベンチャーやってたりするから、その辺との兼ね合いもありますが。大手企業でエース級のエンジニアってのもどうやって抜くかは問題ですね。でも、エース級のエンジニアが必ずしも見合った待遇を受けているわけではないのが日本企業の欠点なので、その辺をうまくついて熱く夢を語れば意外と引っ張れるかもしれません。資金は問題ですね。下手にVCから引っ張ると、その後の経営権の問題が起きそうだし、かといって、メーカーは給料低いから自分で用意するものなかなか大変。

うーん・・・。なんとかならんですかね。

自分は起業する気があるのかって?まあ、急いでしょぼいベンチャー立ち上げてもしょうがないですからね。まだまだ勉強中ですよ・・・

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2006年4月23日 (日)

web進化論と半導体進化論3

web進化論の梅田さんは、はてなの会社運営に関してwikiを導入して情報共有をしていると書いていますが、このようにwebベースで会社の仕組みを考えるのも面白そうです。

思いついたアイデアを、みんなで議論してブラッシュアップするには、wikiを利用するのは面白そうですね。もちろん、セキュリティの問題はありますが、半導体マクロのIPなどは、データの塊なので、webを利用して極限まで輸送コストを低くすれば、安価なマクロを提供することも出来そうです。

進化の早いwebサービスの世界に対応した会社の仕組みを作るのは、ゼロベースで出来るベンチャーのほうが向いてそうな気がします。

「ロングテール現象」は、半導体は直接マス相手に商売するわけではないので、そのまま当てはめることは出来ませんが、消費者の消費形態に影響は受けるので、ロングテール現象が大きくなるに従って、市場はどのように変化するかは観察しておかなければなりません。

オープンソース現象は、ソフトウエアの世界では昔からあるスタイル(というか、もともとソフトウェアはオープンな世界で有料化は後)ですが、半導体の世界でこの手法は使えるのでしょうか。もし、プリミティブな回路IPがオープン化すれば、半導体の価格は劇的に下がります。しかし、回路IPは確かにデータの塊だし、電子回路が趣味の人もたくさんいますが、ハードウェアの場合は最終的に実シリコン上で動作することが重要で、特性や物性値にプロセス依存があるので、なかなか難しいところでしょう。一般的な回路のアーキテクチャや理論は、学会で発表されるので、そういう意味ではすでに学術的なオープン化の仕組みはあると言ってもいいでしょうね。

コメントにあった指摘のように、グーグルのようなネット企業の快進撃は、いわば通信インフラ企業の不振の犠牲の上になりたっている部分もあると思うので、この本のようにグーグルが次世代の覇権を担うようになるかは分かりません。しかし、今の情報業界の大きな流れはこの本に描かれているように動いていると思います。

自分もwebの進化に重ねて、半導体ビジネスの次の姿を考えてみました。皆さんも、これからおいしい半導体ビジネスとは何かを考えてみませんか?

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2006年4月22日 (土)

会社にアイドルが来たら

tech総研なる転職奨励サイトに、SE漫画家のきたみりゅうじという人が漫画を連載してて、そのなかに会社にアイドルがきたらというトピックがあった。

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000734

・・・ふーん、SEって一日でも素人の相手が出来ないほど大変なんだなー。

学生相手のリクルーターなんてやってらんないだろうね。

でも、その話題に上ってるテックハニーってブログ見るとなかなかかわいいぞ。いいじゃん!

http://blog-tech.rikunabi-next.yahoo.co.jp/blog/honey

ガンダム・・ガンダム好きかー。ヲタクはさておき、エンジニアってそんなにガンダム好き多いかな。どっちかというと、周りには鉄っちゃん(鉄道オタク)のほうがおおい。

たしかに某T工業大学では、モビルスーツの外装用金属材料を開発するということを目標に日夜研究に励んでいる人がいるということを聞いたことがあるが。

こんな実物大ボトムズを作っちゃう人も中にはいるけど。

でも、僕自身はガキのころに見て以来、あんまりストーリーも覚えていないんだよねー。韓国行ったときに一緒に焼肉食べた韓国人ブレイクダンサーは「ガンダムは、1stガンダムが一番でス!」と熱く語っていたけど。

でも、いいじゃん!こんなかわいい子が職場に来たら、おいら上がるで!メイド服でも地球連邦軍の制服でもいいから、職場に遊びに来て欲しいもんだよ。

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2006年4月21日 (金)

東芝のNECエレクトロニクス買収可能性

 昨日、何気なく日経新聞を読んでたら、株式のページに「攻める東芝」かなんかという題のコラムにこんな内容のことが書いてあった。

東芝がウェスチングハウスを6000億円で買収するということで話題だが、買収先の検討にはもう一社、NECエレクトロニクスが含まれていた。NECエレクトロニクス買収については親会社のNECと協議したが、株の持分比率で交渉が成立せず、買収は白紙になった。

なんか、さらっと書いてあったのですが、実現してれば半導体業界の巨大再編ですよね。現在も45nm世代開発ですでに提携してますが、吸収合併まで考えていたんですねー。

NECエレと東芝は事業補完の関係にあるので相性がいいといわれてますが、所詮は日系企業同士なので、合併が実現した日には、NECエレにはリストラの嵐が渦巻くでしょう。

と、思ってたら、NECの業績予想が下方修正というニュースが。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060421/116454/?ST=observer&ref=rss

なんと、NECエレは980億円の赤字見込みだそうです。もう、潰れそうな勢いの赤字額ですね。

ただ、これで株価がどんと下がれば、いっそう買収はしやすくなるので、もしかして業界再編の引き金になるかもしれませんね。

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web進化論と半導体進化論2

 梅田先生によれば、ネットの「こちら側」にある端末は、「チープ革命」によってどんどん値段が下がっていきます。

それは当然半導体部品への値下げ圧力となるので、競争はより厳しくなるでしょう。

普通の半導体製品は、台湾やBricsのような人件費が安く、かつ優秀な人材の居る地域のメーカーが製造には有利になっていくでしょう。この点、一般にコストの高い日本の半導体メーカーはますます厳しい状況に追い込まれるのではないでしょうか。

ここで利益を出す戦略としては、一つはインテルのCPUや、TIのメディアプロセッサのように自社の製品を端末の中核部品として業界標準とすることです。市場を制することによって価格もある程度制御することが出来るので、利益の出るビジネスが展開できます。これはどちらかというと、アメリカのメーカーが得意な戦略のようですね。最終製品の原価は、中核部品が大きなウェイトを占め、そのほかの半導体部品はひたすら値段を叩かれることになります。中核部品が握れないと実に厳しい。今のところ、パソコンはインテルが制し、携帯のプロセッサはTIが優位な状況です。また、CDMAのベースバンド処理用半導体はクアルコムが制してますね。日本は、ルネサスのSHシリーズのように優秀なMPUもあるので、どこかの市場を制したいところです。今のところ、ロボット向けや自動車向けはまだ可能性があるんじゃないでしょうか。

中核製品を握る戦略は、どちらかというと技術と資本力のある大企業がとりやすい戦略だと思います。

これに対して、チープ革命を自ら主導してしまうという戦略もあります。

具体的には、有機半導体などの新規デバイスを先んじて実用化してしまうということですね。有機半導体は、薄くて曲げられる端末が実現可能な上、印刷技術が応用可能で、実現すればSi半導体素子よりはるかに低コストで大量生産できます。日本には有機半導体を研究している世界的な研究室もあるので、有利な環境ともいえます。こちらは、動きが早く、革新的な技術に抵抗の少ないベンチャー企業の参入余地があるといえます。

また、グーグルの「情報発電所」のサーバ向け高性能LSIを開発するという道もあります。グーグルもデータセンターを山ほど建てているので、ここに納入されるサーバにLSIを供給できれば、結構なビジネスになるのではないでしょうか。こちらは、とにかく高速、高信頼性が要求され、消費電力、コストは優先度が下がるでしょう。携帯向け端末とは対極ですね。こちらはスパコンを開発してきた日本のコンピュータメーカーにも技術的には参入余地があるのではないでしょうか。どちらかというと、営業力の問題かもしれませんが。

ただ、端末向けと比較してどうしてもボリュームは小さいため、メインの事業にはなりにくいでしょうね。

どちらにしろ、「web進化論」の世界では、半導体企業は中途半端な戦略は許されなさそうです。ますます厳しい時代になることは間違いないでしょうね。

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2006年4月20日 (木)

web進化論と半導体進化論1

各所で話題の梅田望夫氏の「web進化論」を読みました。

論じられている中で重要なポイントは、

・あらゆるIT関連機器が年率30~40%も価格下落をしていく結果、ITに関する必要十分な機能をコストを意識することなく手に入れることができる「チープ革命」が起こる。

・ITに関する付加価値はネットの「こちら側」から「あちら側」に移行する。

・グーグルは巨大なサーバ群で情報発電所のようなインフラを構築し、ネットの「あちら側」の覇権を握りえる重要な企業である。

・ブログやアドセンスなどの普及によって、マイナーな市場の集積(ロングテール)が価値をもつような新しい世界が出現しつつある。

といったところでしょうか。

今、インターネットに親しんでいる人間にとって、なんとなく感じてる時代の波をうまく論じているので、説得力があると思います。

われわれメーカーでものづくりを商売にしてるものにとって気になるのは、ネットの「こちら側」、要はリアルな世界で使用するハードウェアはどんどん付加価値が下がるというくだりです。

日経のサイトでも、この話についてだいぶ熱い議論が交わされてます。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060313/114691/

コメントもかなり書き込まれてますが、一部リアルな世界のすべてがコモディティ化すると誤解している記述も見受けられます。

梅田さんは、あくまでIT機器の付加価値について論じているのであって、IT機器に関して言えば、今もコモディティ化によって値段がどんどん下がる状況にあるのは否定できないでしょう。

そして、半導体はIT機器の中核部品であり、梅田さんの語るネット社会の未来の影響をもろに受ける業界であります。

そこで、web社会の進化に伴って、半導体ビジネスをどのように展開すればよいものかを考えてみたいと思います。

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2006年4月19日 (水)

東大で電気電子が人気ないらしい。

日経ビジネスオンライン「東大で電子工学の人気が急落中」より

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20060417/101387/

東大の「電気電子」(通称電電)といえば、この筆者のいうほど「超人気」ではなくても、そこそこの人気を保つ安定した人気学科というイメージが強かったんですが、最近は人気ないんですか。びっくり。しかも、情報関連もあんまり振るってないですね。

やっぱ、最近の半導体業界や電機業界の不振がイメージを悪くしてるんでしょうね。

業界不振→人気急落→優秀な人材集まらず→さらに弱体化 の負のスパイラルにはまりかけてますね。

確かに昔の底点学科といえば、船舶に冶金とかだったから、学生は正直に斜陽産業化を感じてるのかもしれませんね。いやー、へこむなー。

それと、昔はなかった新しい学科が目に付きます。「社会基盤」とか、「システム創成」とか、一見して何を勉強するのかよく分からない学科が増えてます。

この記事にあるように、日系のメーカーは一般的に技術者をあまり厚遇してないという点はあると思います。特に伝統的な電機メーカーというのは給料が安いというのが相場になってます。

優秀な理系学生がいるとして、三菱商事や三井物産のような一流商社を就職先に選んだ場合と、NやHのような電機メーカーに技術職として入った場合とでは、年収に倍くらい差がついちゃいますね。

学生が「おれはものづくりがしたいんだ!金じゃない!」と熱い気持ちで技術者を目指したとしても、すごく優秀な人がめちゃくちゃ働いても生活レベルはぼちぼちという現実を見れば、まあ萎えますわな。

一見してよく分からない、文理融合の学際的な学科に人気が集まるのも、こういったことがあるんじゃないかなと思います。

やっぱ、エンジニアの待遇改善!そして、業績向上!ですね。業界にいる自分たちにも責任の一端はあるんで、頑張りますよ。

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セヴィアン・グローバー in クラシカル・セヴィアン

日曜日に東京国際フォーラムにセヴィアン・グローバー in クラシカル・セヴィアンを見に行きました。

タップ界で今世界で一番注目されているといわれるセヴィアン・グローバーが、クラシックオーケストラとセッションをするという試みです。

タップとクラシックというのは伝統的なスタイルのタップではそれほど違和感ないかもしれませんが、セヴィアンのブラックミュージックのリズムを基本としたフリースタイルタップとどういうコラボになるのか、興味がありました。

いやー、すごかった!

すごいイマジネーションと技術ですね。クラシックであのようにリズムを刻むというのは、しかもフリースタイルというのは、すごすぎます。

3年前にも「ノイズ&ファンク」を赤坂BLIZに観にいったのですが、今回も実に楽しめました。

しかも、アレだけ崇められながら、ストリートダンサーのような気さくな雰囲気があるのもいいですね。

セヴィアンは若いし、ヒップホップダンサーのようなスタイルなので、僕は勝手に最近出てきた新世代のタップダンサーなのだと思ってたんですが、12歳でブロードウェイデビューして、13歳でグレゴリーハインズと映画で共演したという、筋金入りのキャリアを持ってたんですね。

今後も楽しみだなー。タップやりたくなってきた。

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2006年4月18日 (火)

インド初のDRAM設計開発企業

「インド初のDRAM設計開発企業,エルピーダがFTDと共同で設立」

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060413/116102/?ST=observer&ref=rss

ついに、日系半導体メーカーもインド進出しだしたか、という感想です。

IT産業が盛り上がっているインドなら、半導体設計とも相性がよさそうなので、人件費の安さから言って、これからもどんどん進出する方向でしょうね。

製造は中国、台湾、設計はインドと次々アウトソーシングされたら、国内の半導体技術者はますます厳しくなりますなあ、ガクガクブルブル。

ただ、IT技術者というと、現地では医者、弁護士と並ぶくらいあがめられている職種ですが、セミコンダクタエンジニアというと、まだ「ハァ・・・」といった程度の認知度です・・・。

このFTDの川西剛さんという人は、元東芝の副社長で、半導体といえばいろんなところに顔を出す人です。もう相当なじいちゃんだろうに、こんなシンガポールベンチャーの経営陣に入ってるんですね。

がんばってますなあ。

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クレイジーエンジニア主義

tech総研の「クレイジーエンジニア主義」ってのが面白くてよく仕事の合間に見てるんだけど、今回のMIT教授の石井裕氏のは日本企業のエンジニア出身者として共感しました。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000789

通常勤務以降に自分の興味分野をやるとかね。これって意外と強いモチベーションがないと出来ないんですよ。通常勤務で心身ともに疲れちゃいますしね・・もう飲みに行きたいなーみたいなw。でも、自分の幅を広げるためにはこういうプラスαの時間って大切ですよね。逆に言えば、仕事に忙殺されることを避けなくちゃいかんちゅうことですが。

あと、個々の技術より、概念の研究に力を入れていることにも共感を覚えました。概念っていうのは技術開発の方向を指し示すものだから、大きな革新を呼ぶには大切な研究ですよね。でも、日本では一番受け入れられにくい研究かもしれません。

「力を存分に出したい、突出した成果を出したいと考えるエンジニアには、エンジニアであることを辞めよ、と言いたいですね。エンジニアというラベルを張った段階で、もう壁ができている。」
このくだりもいいですねー。僕も、エンジニアという枠を超えて、世の中に役に立つもの、もっと面白いものを生み出して行きたいなーと思ってます。

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インド旅行記:その後

インドに行くと、人生観が変わるといわれますが、インド旅行後我々はどうなったかというと・・・

いちるさんは会社を辞めてニートデビューし、おいらは病院でお尻に綿棒突っ込まれて何かを喪失し、それぞれ新しい道を歩き始めたとさ(ヲイヲイ

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2006年4月17日 (月)

インド旅行記最終回:ムンバイ

インド旅行記もついに最終日を迎えました。

この日はショッピングメインで観光しました。
まず、海際の道路をドライブしてインド門に行きました。

これがマリンドライブ。

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これがインド門。これはまあ、普通の観光名所っぽくて特に感慨無し。

それより、インド門の前でばったり倒れてた少女が気になった。

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その後、花売りの少女から生花で作った腕輪を買った。生花を糸で上手に括ってあって、なかなかいい香りがしました。 またこの子もめっちゃいい笑顔してたなあ・・。

これはタージマハルホテル。インドで一番高級なホテルだそうな。

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その後はショッピングタイムということで、まず、インドのスーパーマーケットみたいなところである、サハカリ・バンダールに行った。

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これが安い!いかに我々が観光客値段でボられてたかがわかりましたw。ここでどっさり紅茶とスパイスを買い込みました。

これはスポーツバーらしい。なぜ、スモーレスラーがにらみをきかせているのかは

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その後、本屋に行って、インドの謎の漫画を買い込み、高級デパートっぽいところで会社の同僚へのお土産を買いました。
さらに、「チマンラール」というレターセット屋さんに行きました。ここのデザインがいい!店に入った途端いちるさんが「かわいい!」と叫んで客がぎょっとしてましたw。インドの紙とか布のデザイン力はマジ侮れないです。しかも安い。いちるさんが鬼のようにレターセットを買い込んでました。
その後はいちるさんが「どうしてもゴアトランスのCDが欲しい!」ということで、レコード屋に行くことになりました。当初狙ってた「プラネットM」というレコード屋は駐車スペースがないということで却下され、別のレコード屋を案内されて、そっちに行くことになりましたが、行ってみるとそこはレコード屋ではなくデパートで、CDコーナーは隅っこのほうにほんの少しwww。もちろん、ゴアトランスなどなく、インドのミュージカルソングばっかり・・・。
当初はさすがインド人・・と思ったのですが、考えてみるとインドでダンスミュージックといえば、ミュージカルソングなわけです。ゴアトランスなんて、ほんの一部の超コアな若者しか聞かないわけで、一般的なインド人にゴアトランスを説明するのは至難の業なのです。 まあ、しょうがないか・・・

ここで飛行機出発までの時間がなくなり、ゴアトランスはあきらめて空港へ。

これはムンバイ駅。インドで最初に出来た駅だそうな。無駄に立派。

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横断歩道を渡るインド人。よく見ると信号は。インド人に交通法規という言葉はありません。

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空港に着き、チケットをとったあと、いちるさんが大変なことに気づきます。

「・・・・・デジカメがない・・・」
ええええ!!!!!インドの思い出満載のあのデジカメがですか!
あの、平原の燃えるような夕日の風景もですか!
雲が渦巻いて、なんか魔法をかけてるような風景もですか!
コロンビア人のめっちゃナイスバディな女の子のお宝写真もですか!
荷物をほっくりかえしたがありません。落とすとしたらホテルの部屋の中以外ありえないので、ホテルに連絡をとってもらいました。
しかし、やっぱり見つかるわけない。
いちるさんが自分で捜しに行く、と言い出しましたが、こんなときに限って飛行機はオンタイムで出発です。もう、仕方がない・・。
あきらめてデリー行きの飛行機に乗り込みました。

デリーの国内線空港から国際線空港まで、旅行会社のインド人が車で送ってくれました。そのインド人が車の中でこんなことを言ってくれました。

「インドは面白い国だったでしょう。貧と富、聖と俗、賢と愚、両極端ばかりで中間がない。でも、インド人は貧しくても幸せな人はたくさんいます。どうしてだと思います?
日本はどうでしょう。あんなに豊かな国なのに、自殺者が年間3万人もいるそうじゃないですか。とっても悲しいことですよね。
インド人は自殺なんかしません。もちろん例外はありますが、極少数です。それは、貧しくても、生活が過酷でも、みな前向きな考えで生活を送っているからです。人生に対してポジティブなのです。お金がなくても、幸せを感じる生き方をしているのです。
あなたはデジタルカメラをなくしたそうですね。とても残念なことです。でも、なくしたものはインドでは取り戻せません。その代わり、保険会社に申請すれば、補償金を得ることができます。それで新しいカメラが買えるじゃないですか。ハッピーなことだと思おうじゃないですか。It's India! It's our life! 

おおお・・・・!!!僕たちはこの言葉にとても感銘を覚えました。
そう、多くのインド人の生活はとても貧しく、僕らから見るととても過酷な生活を送っているように見えます。でも、彼らはとてもたくましく生き生きしていて、子供たちの笑顔は輝いてました。いったいこれはなんだろう、ともやもやしていたものをこのガイドは明快に指摘してくれました。
そして、本当のポジティブさ、というのはこのようなたくましさをいうのだろうな、とも感じました。最後の最後にもいい人に会えてよかった。

結局、デジカメについてはホテルのクレーム証明書は本人が直接行かないと発行されないらしく、保障の申請も無理っぽかったのですが、いちるさんは先のガイドの言葉でふっきれたようでした。

デリー空港には、日本人の若者が大量に待機してました。卒業旅行の季節だったからでしょうか。
なんだか、普通の学生風と、明らかにガンジャやりにインドに来てそうな若者に色分けできたのがおかしかったw
その中で、ニットキャップをかぶった今時な男の子二人組がカフェコーナーでスタッフに話しかけてました。
「おう、兄ちゃん、この店ドルつかえるんかあ?」
関西弁です。スタッフが困った顔で首を振ると、
「なんだ使えへんのかあ?なんやこの兄ちゃんも使えへんなあ、あっはっは」
とか言っております。
行きのときのギャルといい、最近の若者は自分のスタイルをどこへ行っても変えないのですね。なんだか頼もしいww

飛行機は定刻に出発し、成田に無事着きました。
検疫の健康相談所には長蛇の列が出来てました。
やっぱインドだしね・・・
で、僕はそこはスルーしてきちゃいました。
帰りはいちるさんと「楽しかったっすねー・・・」とずっと言い合ってました。
しばらくは、日本にすごい違和感を感じてました。だいぶカルチャーショックを受けてたんですね。
僕らのインド旅行はこんな感じで終わりました。
バックパッカーではなかったけど、その代わり余計な心配をしないでインドを楽しめました。一生の思い出になりましたよ。

不思議の国インド!行けば絶対世界観が変わります!下痢に耐えられる体力のあるうちに皆さん一度は行きましょう!

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2006年4月15日 (土)

インド旅行記9:列車&深夜のムンバイ

ムンバイ行きの列車に5,6時間くらい乗りました。
後ろの席には、10歳くらいのすごくかわいい女の子と3歳くらいの男の子が乗ってて、目があうと、肩をすくめてにこっと笑ってくれます。

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超かわいい。
僕はロリコンではありませんよ念のため。

メモ帳に漢字とローマ字で自分の名前を書いて渡すとすごく喜んでくれました。その子も紙に自分の名前を書いてくれました。
sanyuktaちゃんだそうです。sanyuktaタン。

両親ともに医者だそうで、多分かなりハイカーストな人たちです。
デジカメも、ソニーのサイバーショットを持ってました。
お母さんもすごく優しく、いちるさんが腹痛で死にそうというと、処方箋を考えてくれました。
指でつくるかえるを教えてあげたり、彼女に折り紙で風船を作ってもらったりしました。

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とにかく楽しい時間でした。

そして、深夜、最後の地ムンバイに到着です。

ホテルへ向かう自動車に乗り込んだのですが、駅から歩いている途中、ほかの車に取り付いている物乞いの男の子がいました。見てたら、突然車が発進し、男の子は引きずられてばったり倒れました。それを見てた女の子が口に手をあてて「はっ・・・」という感じで固まってます。
僕らも一瞬固まって見てたのですが、しばらくして男の子はむっくり起き上がってどこかへ消えていきました。
多分sanyuktaタンと同い年だと思うのですが、境遇のあまりの落差にちょっとショックを受けてしまいました・・。
小泉首相、格差社会の究極はこれですよ。こんな社会にしたいでしょうかね。

車でホテルまで夜のムンバイをしばらくドライブしました。ムンバイは今まで旅した街の中で一番都会的な町でした。窓から見える夜景も高層ビルのネオンがきらびやかで、シンガポールのような雰囲気です。しかし、間近をみると、そこにはバラックが立ち並び、路上生活者もうじゃうじゃいます。それだけにかえってインドの貧富の差を実感させます。

ホテルは今まで泊まった中で一番ゴージャスで、日本のリゾートホテルとあまり変わらない設備でした。ただ、窓際のソファに血痕ぽいのがあり、いちるさんがぼそっと
「生理中にヤったのかなあ・・・」
とつぶやいたのには笑ったけどwww

さて、次の日はついにこの旅のラストになります。

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2006年4月14日 (金)

インド旅行記8:エローラ遺跡

 朝起きると、いちるさんがベッドの上で四つんばい。
「・・・・・腹いてえ・・・・・・」
なんだか朦朧としています。しかし、
「・・・・うう・・・・いや、這ってでもいきましょう・・」
というわけで、エローラ石窟観光の決行であります。
僕もナチュラルにお尻から水が噴き出る状態ですが、ここまできてかのエローラ石窟を見ないわけにはいかないでしょう。

オーランガバードからエローラまでは車で行きました。
しかし、窓の外の光景はこれまたすばらしい。
デカン高原はちょっとグランドキャニオンに似た雰囲気で、でかいテーブル状の山腹に地層がうねっているのがはっきり見えます。

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「うぉぉ・・・この姿勢は・・きつい・・」
とか言いながら、いちるさんも身を乗り出して写真を撮ってました。

すると、目の前にまるでロマンシングサガのような中世の巨大な城壁が見えてきました。そして遠くには、切り立った岩山に砦が張り巡らされているのが見えます。

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ガイド「これが、ダウラターバードです。」
切り立った岩山の下には堀が巡らされており、熱い油とか、毒蛇とかのトラップがあって難攻不落の城だったそうです。
まさにゲームに出てくる竜王の城のようなたたずまいです。
勇者になりたくね・・・ 

ダウラターバードの写真を撮るために車を止めたところ、偶然巡礼者の列に出会いました。

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ちょっと写真をとるのは失礼かなと思ったのですが、先頭にいる警官みたいなおじさんが手招きをしてシャッターを押すポーズをとるので、先頭に回りこんで写真を撮って見せてあげました。

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しかし、写真には一顧だにせずいかめしい顔つきのまんまじっとこちらの目を見てます。
あれ・・・???なんか違った・・・・???
動揺した僕はそそくさと逃げ帰ってきちゃいました。
しかし、いちるさんは普通に写真をとりまくってたので問題はなかったようです。インド人は難しい・・・

そして昼ごろエローラ石窟に到着。
エローラ石窟は1500年~1000年前くらいに出来た石窟で、ジャイナ教、仏教、ヒンズー教それぞれの石窟が合計34個あります。その中で本命のカイラーサナータ寺院を後回しにし、まず第30~34窟のジャイナ教石窟に行きました。
前座だしー、カメラのメモリ大事にしておこう。

と、思ったのですが、
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これがすごい。等身大の象の彫刻が入り口にあり、柱という柱の彫刻はものすごく細かく繊細で、神像もすごくきれいに出来ている。これらがひとつの山から切り出した継ぎ目のないひとつの彫刻なわけで、すでにかなり感動してしまった。
面白かったのが、ジャイナ教は全裸の宗教なので神様も裸なわけですが、女神様の乳房の部分だけ黒い
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手垢です。

インド人がおっぱいだけ触りまくってるんですねwww
ここでも写真をかなり撮りまくりました。

次は仏教石窟。最初に入った石窟はアジャンタの石窟に似た形で、仏像の刻まれたストゥーパが真ん中に鎮座しております。
岩なのに、木造建築を模倣して天上に梁があったりするんですね。面白い。
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儀式に使う場所なので、祈りの声が良く響くように設計されているそうです。ガイドさんが祈りの歌をうたってくれました。ホールに響いてすごく神秘的。僕も試しに般若心経を唱えてみました。今でもお坊さんが集まってお経を唱えるそうで、すごい光景だろうなあ・・

次に3階建ての大きな仏教石窟に入りました。まるでダンジョン。中が薄暗くて、懐中電灯を持って入った俺らは、「ダンジョンだー」「これ、ドラクエっぽくね?」とか言って遊んでましたww

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しかし、階段を登るには二人とも腹痛で息たえだえ・・・
途中の小部屋で小休止したりしました。床に謎の穴がいくつか開いてるの見て、「これ、拷問器具をおいたんじゃね?」
いやいや、ここお祈りする施設だから!拷問する場所じゃないし!
途中、頬かむりして何か修理してるインド人に挨拶などして階段を上がりました。
最上階まで上がると、中央奥に鍵のかかった小部屋がありました。
修理中かなんかなのかな?と思ってると、いつの間にか付いてきてた頬かむりのインド人がそこの鍵を開けて手招きしています。
なに?入れてくれるの?
中は、中央に説教をする仏像が鎮座しており、周りにたくさんの彫刻がある部屋でした。
インド人は「paint」とか、「this,small sculpture」とか、指差しして教えてくれました。
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なんか、得した気分だったので、チップをあげたら喜んでました。
なんだろ、たまたまだったのかな。ラッキーだと思うことにしよう。

そして、最後の石窟は、いよいよカイラーサナータ寺院です。
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これはひとつの岩山を丸ごと上から掘り下げて彫った寺院で、完成に7世代、100年以上かかったといわれる怪物です。
7世代ですよ7世代。爺さん、父さん、自分、子供、孫、曾孫、玄孫(やしゃご)までみんな毎日岩彫りなんですよ。
インド人の考えることはわけわからないですね。
カイラーサナータはシバ神を奉る寺院で、全体の形は古代の戦車を模しています。
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教徒の侵入で、顔の破壊された神像が多いのがちょっと残念。

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寺院の壁面には、戦争の物語絵巻が細かい彫刻で描かれています。

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寺院内部にはリンガという、男性器と女性器を模したご神体が奉られています。多分、生殖そのものが聖なるものとされてるんでしょうね。

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そして、柱にはカーマスートラ(インド版48手)の彫刻が!www
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柱にきざまれている男女のチンチンとマンマンの部分だけまたもや手垢で真っ黒なのが笑えるww

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こら、インド人wwww

もちろん、カイラーサナータでも、怒れるシバ神の彫刻の前で踊りました。もう、ふらふらなので5秒で終了。

最後、カイラーサナータを上から見なきゃということで、ミニ岩山登山に。
もう、いちるさんも俺も地面に這いつくばる勢いで登りました。
カイラーサナータは上から見てもまったくすごい!
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やっぱ上から掘り下げただけに、上部の彫刻も半端なく細かいのであります。宗教の力は偉大だ・・・
頂上で、観光客の人に写真をとってもらいながら、「おれら、やったよね・・・」といちるさんと堅い握手を交わしましたw。
山をおりながら写真を撮ってくれた人と話ししたら、言葉も外見もてっきり日本人だと思ってたのに、どこから来たのか聞いたらタイ人でした。タイ人ってこんな日本人とクリソツなひといるのかね。

そして、エローラ石窟とはお別れし、最後の地であるムンバイへ行くために駅に向かったのでした。
もっとゆっくり見たかったな・・・アジャンタも、エローラも・・・。すばらしかったです。

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2006年4月12日 (水)

インド旅行記7:アジャンタ

次の朝、目が覚めると、幾分症状が落ち着いて、とりあえず歩ける程度に回復しました。ホメオパシーが効いたのだろうか。

ちなみにホメオパシーとはこんなものらしい。

まだ食欲はなく、下痢は続いてますが・・。
とりあえず、今日のアジャンタ観光は決行することにしました。
すると、昨晩は元気だったいちるさんが
「腹痛い・・」
と言い出しました。ついに、2人ともインドにやられたようです。

アジャンタ石窟までは自動車で行くのですが、車に揺られている間、二人の顔は土気色

アジャンタ石窟までの道のりは高原で、風景がおもしろい。
途中で通りかかった人たちとか水牛とかの写真をとりまくりました。
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しかし、駅のトイレといい、パーキングのトイレといい、まったく水が出ません。

手桶用の水も出ないのは参った。

しかし、おなかは許してくれません。

そこで、通りがかりの小学校にトイレを借りることにしました。

山村の小学校なのに、ぱりっとした制服を着てて皆さん身なりがよろしい。

門を僕がくぐるといっせいに注目を浴びて、子供達が駆け寄ってきました。

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写真を撮ると喜ぶ喜ぶ。授業中の子供まで「写真とってー」と近寄ってきて、まるでスターにでもなった気分でしたw

中学校も併設されてて、女子中学生が興味津々に近寄ってくるのですが、カメラを向けると恥ずかしがって逃げます。なんか素朴。

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先生も挨拶に来てくれて、なんかトイレ借りに来ただけなのに、楽しい交流をして得した気分でした。

アジャンタ石窟は、B.C.2世紀からA.D.5世紀頃までに彫られた石窟で、石窟の壁に荘厳な壁画が描かれています。1000年以上密林に放置されていたのを虎狩に来たイギリス人が発見したそうで、そんときはものすごくびびったことでしょう。

アジャンタ石窟の外観。雨季には滝が流れて壮観だそうです。

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まずは、有名な第一窟の蓮華手菩薩金剛手菩薩

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金剛手菩薩はインド絵画の最高傑作と言われてて、法隆寺金堂の壁画の原型といわれているそうです。

実際見ると、華やかさと艶やかさに圧倒されました。インドすげえ。

下は第一窟の仏像と、未完成の第4窟。

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こんな風に黙々彫っていったんですな。

アジャンタ石窟には、紀元前2世紀の原始仏教(ヘニアナ)時代に開かれたものと、その後の大乗仏教(マハヤナ)時代に開かれたものがあり、ヘニアナ時代のものは仏像はなくストゥーパだけ、マハヤナ時代のものは仏像や、仏像とストゥーパが設置されているという違いがある。設置といっても岩を掘りぬいて作ってるので、岩窟と一体となった彫刻なんだけどね。ヘニアナ時代は偶像崇拝の概念がなかったので仏像がなかったんだけど、それと同じ理由で、壁画が描かれたのもマハヤナ時代になってからなんだそうな。また、青の染料は当時存在しなかったので、青(ペルシアンブルー)だけはずっと後の時代にイランから輸入して着色したんだそうな。

下はアジャンタ石窟の発見者、ジョンスミスが19世紀に最初に発見した第10窟のストゥーパ。柱にジョンスミスの落書きもある。

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下は、第17窟の釈迦の生まれ変わりの白象の物語の壁画と、第21窟?の柱の彫刻。細かい。

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下は、最終26窟の仏陀の涅槃像と仏像が埋め込まれたストゥーパ。

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いやー、なんつーか、圧倒されましたな。

もっとゆっくり味わいたかったのですが、いかんせん体の調子が悪く、日差しの中を歩くのは辛抱たまらんげり

ということで、体力の限界まで味わったところで、帰途につきました。

帰りにみやげ物屋に寄ったのですが、全然買う気なかったのに、いつの間にか象の彫刻を買ってしまいました。
一応、1200ルピーとか言ってたのを700ルピーに負けさせたのですが、車の運転手に見せたら
「ああ、俺なら50ルピー以上払わねえな
ショック!!!!10倍以上ぼられましたw

なんか、彫刻だと思ったのが、ストーンパウダーを機械で整形しただけの偽物らしいです・・・・
てか、なぜこんなものを700ルピーも出して買っちゃったのかマジで謎・・・

ホテルはオーランガバードホテルというかなり高級そうなホテルに泊まりました。

体調が悪い2人には助かります。

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なぜか、入り口には巨大なチェスが・・ww

ホテルにはプールもついてましたが、泳ぐどころではありませんでした。
ホテルのバーで少し飲んだあと、夕食。
夕食もカレー。もうですね、弱った胃腸に香辛料が炸裂してつらいのですよ(泣

明日は世界最高の寺院があるという、エローラ石窟です。

こんな体調で大丈夫かしら・・・・・

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2006年4月 9日 (日)

インド旅行記6:ブサバル行き寝台列車

ブサバルへ行く寝台列車は、バラナシに来たときと違って、ほぼ時間通り来ました。

そして電車内もすいていたので、寝台も好きなところを使えました。

窓際の寝台を確保し、リラックスして風景でも堪能しようかと思ったそのとき・・・それは来ました。

「む?腹痛い・・」

速攻列車のトイレに行ったら、見る見るうちに固形のブツが液状化していきます。

「いちるさん、ついに来ちゃったみたいすよ」
「ああ、俺はまだ平気だな、インド風物詩にかかってうらやましいなー」
なんてのんきな会話をしてたんですが、どんどんトイレに行く間隔が短くなり、下痢は水状に。
「いちるさん、もう水ですよ」
ホーリーだな!ハッピーホーリー!
日本の薬はインドの下痢には効かないと聞いてたので、インドの強力下痢止めを飲んでたのですが、急激な下痢にはまったく効きません。

列車のトイレに紙はないのですが、日本から持ってきたティッシュを使ってました。しかし、もう紙なんぞ使う余裕がなくなって、インド式の水と指で後処理をしてみました。
これが慣れるとなかなか気持ちがいい。下痢の時には効果絶大です。
水をたっぷり手桶にくんで、たっぷり使うのがポイントですww。
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だんだん体もだるくなってきて熱っぽくなり、衰弱してきました。
横になって目をつぶると、バラナシの黄色い風景がぶあっと目の裏に広がり、なんかよく分からない妄想が勝手に頭の中で動き出します。夢だか現実だかよくわからなくなり、腹が痛くなったら自動的にトイレへ・・・。
夕方にかけて、どんどん症状はひどくなってきました。車内には洋式便所があったんですが、ふたのちょうつがいの部分にですね、なぜかうんこがばっちり鎮座しているのですよ。しかも、それにお尻で踏んだ跡がついてるのです。しかし、足場しかないインド式便所にしゃがむ元気がなくて、うんこを踏まないように注意して浅く腰掛けて洋式便器のほうで用を足すのですが、姿勢が軽く空気椅子なわけです。その空気椅子状態で下痢が止まらなくなり、便器に座ったままどんどん気持ちが悪くなってきて、へんな汗が滝のように出てきました。吐き気を催したのですが、下痢が止まらないので顔を便器に向けられず、やむを得なく後処理用の手桶に嘔吐し、その手桶をもったまま気が遠くなってきました。最悪です。

なんとか気を失う前に寝台に戻り、ぐったり寝込んでるとインド人がぞろぞろ集まってきました。
そのうちのドクターのような風貌のおっさんが、ホメオパシーの薬だといって、白い薬をくれました。

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それを舐めて、水を飲んでるうちになんとか寝ることが出来るようになりました。
このままの状態では確実に旅はリタイアです。
いちるさんが明日からの日程をどうしようか考えてました。
ほんと迷惑かけてすんません・・・・

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インド旅行記5:バラナシ2

朝起きたのは4時半。暗いうちからホーリー用に買った服を着てガンジス川へ。
そう、ガンジス川の夜明けを見たいのであります。
手前の路地で車を降り、ガンジス川へ通じる路地を歩くのですが、バスが目の前に止まり、日本人ツアーご一行様が到着。
おじさん、おばさんたちが、ホーリー用に配られたっぽいおそろいの帽子をかぶり、2列縦隊になって歩き出しました。
その後ろをついていったのですが、インドの物売りが来てもにこりともせず完全無視無表情で黙々歩いている様子がインドの町並みの中では異様に見えました。

そういえば、前回書き忘れたのですが、ガンジス川で沐浴する前、いちるさんが体に擦り傷があるので、E島さんの話を聞いた後だったこともあり、衛生面で沐浴は大丈夫なのか心配してました。

そこで、ガイドのインド人に聞いてみました。

「Mr.いちるは体に擦り傷があるので、ガンジス川の汚い水を浴びたりして化膿したり、何か問題がないのか心配してい・・・・」

NO!イッツピュアウォーター!!!世界で一番綺麗な水です!!!いいですか、聖なるガンガーの水で洗い流せば、どんなことも、なんにも問題ないです!全部ダイジョブ。全然問題ないです。分かりますか?」

はい、私たちが悪うございました!ヒンズー教徒にこんな愚問を投げかけた我々がバカでした・・・

ガートからまた小舟に乗り、ガンジス川へ。灯篭を多めに買って、多めに願い事を乗せて流しましたw
ガイドさんがガートごとに説明をしてくれている間にだんだん日が昇って明るくなってきました。ただ、曇り気味だったために、日の出の瞬間は見られなくて残念。

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でも、朝っぱらから常に祈りの音楽が鳴っていて、やっぱ聖地なんだなあと実感。
船の上で、みやげ物を買って、インドの地酒も買いました。リキュールなのかな?小魚流しもやりました。
途中、インド人を満載した小船とすれ違ったのですが、「ナマステー」と挨拶したら、船の上のインド人全員が「ナマステー」と返してくれ、手を振ってくれたりノリノリでした。インド人は面白いなあ。

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そして、マクルニカーガートに到着。ここは有名な火葬場です。

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ここで焼いた死体をガンジス川に流すのです。
いろいろなところで煙があがってます。勝手に説明にくる人をかるく無視して、そのうちの一つの焼き場を見てました。
死体処理の人が棒でよく焼けるよう火の中をつつくと、黒焦げの死体が出てきました。頭の部分をがしがしつつくと、頭蓋骨が割れて中の白い脳みそがトロリ
「・・・脳みそ出てますねえ・・・・・」
「・・・ああ、出てる出てる・・・・・」
「・・・腸が生焼けですねえ・・・」
「・・・ああ、意外と弾力あるねえ・・・」
と、いちるさんとひそひそ語りあいました。
焼き現場は、亡くなった人の親族たちが囲んでじっと見てます。
みんな膝を抱えて呆然と見てて、静かな雰囲気が漂った場所でした。
死体処理の現場を見ると、人間の死を身近に感じることが出来ます。こうやって何千年も、ここで死体をガンジス川に還す事を繰り返してきたんだなあ。うまくいえないけど、死をこんな風に間近で見ると、生きている間はしっかり生きたいと思える。生の実感が得られない人はここに来れば、感じるところがあるんじゃないかと思いました。

その後、黄金寺院を外側から見学。金箔で飾られたインド版金閣寺みたいなものだけど、ヒンズー教徒以外は中に入れないらしい。外側から写真もNG。黄金寺院の敷地内に白いイスラムのモスクがあって、そっちは高い柵をめぐらせて人が入れないようになってた。歴史的なことがあって敷地内に2つの違う宗教の寺院が存在するらしいんだけど、宗教間の複雑な関係を見てしまった気になった。

しばらくバラナシの街を歩いたんだけど、ホーリーなので、子供たちがガンガン水爆弾をぶつけてきます。

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ぶつけられたら笑顔で
ハッピーホーリー!」
マンションの上からも水鉄砲でどんどん色水をかけられます。
ホーリーは怖いと脅されてたけど、みんなとにかく楽しそうで陽気です。
街を抜けた時には、全身紫色の水で染まってましたw

一回ホテル戻ってから、アーユルベーダのシロダラというものを受けに行きました。
これは、額に油を垂らすリラクゼーションの一種です。
目をつぶって眉間に油を受けてると、なんかやわらかい物体でゆっくり愛撫されてるような妙にエロチックな気分になってきますw

それからホテルの周りを散歩したのですが、少年の一団に色の粉を顔に塗りたくられ、彼らが去った後気がついたら、いちるさんが持ってた使い捨てカメラがなくなってましたインド初スリ

8時から2時まではホーリーが本格的になり、インド人が普段飲まない酒を飲んだりガンジャでラリったりして街中では大変なことになるようで、街中には出してもらえませんでした。

そして、昼前にバラナシ駅に行き、ブサバル行きの寝台列車に乗りました。18時間の長旅です。

電車の中ではついに、大変な事態になりました・・・・

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2006年4月 7日 (金)

インドに行く前に読んだ漫画

インドに行く前に、バーで会った年配の女性に「行く前にぜひ読んだほうがいいよ」と薦められたのが、「ぢるぢる旅行記」です。

これは、漫画家の故・ねこぢるさんが、夫婦でインドにバックパッカーで旅行した体験を漫画化したものです。

主に舞台はバラナシです。カースト制に拠って生きるインドの混沌・矛盾、そして深さがガンジャの匂いとともにwwよく伝わってきます。

漫画としてもクオリティ高いので、読むとインド行きたくなりますよ。

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2006年4月 6日 (木)

インド旅行記4:バラナシ1

目が覚めるとそこは寝台車の中。初めて寝台車なるもので寝起きしました。
外を眺めると、広大な草原と、点々とある農家が見えます。
そして、おもむろにしゃがんで尻をこっちに向ける人がぽつぽつ見えます。そう、これが有名なインドの野グソ風景
たしかに広大な自然の中での野グソは、思ったほど違和感なく風景になじんでおります

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しかし、インドの農家は普通の作業や世間話をするにもうんこ座りしてるので、うんこしているのかそれ以外の作業なのか車窓から見分けるのは大変。って、なに人の野グソに目を凝らしてるんだ俺ww。しかし、インドの自然風景はすばらしい。ついつい見ちゃいます。野グソも

途中駅で、チャイを買って飲みました。駅で売ってるチャイは素焼きのかわいい器に入っています。そして、飲み終わったら線路にがちゃーん、と投げ捨てます。衛生的だけど、なんかもったいないw
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電車の中で、日本の誇るクレンザー「TOP」のパッケージを印刷したTシャツを着ているスペイン人発見。お話してみると、インドにはビジネス半分、観光半分で来ているそうで、日立の海外支社でも働いたことがあるそうな。
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そんなこんなで、5時間遅れでバラナシに到着。
初めてのバラナシの印象は・・・黄色い
なんか、街全体が黄色い感じです。土の色が黄色いんだろうな。そして、デリーに比べると、やはり田舎な感じがします。

ホテルについて昼食。もちろんカレー。ほんとは、早朝にバラナシについてガンジス川の川くだりのはずだったのですが、5時間も遅れたのでそれは明日にして、その代わり夕方に夕方のガンジス川のお祈り風景を見ることになりました

午後はまず、ブッダが最初に説法をしたという仏教の聖地、サールナートを観光しました。サールナートの美術館はいい像や彫刻がたくさんあったけど、あまり見る時間がなくて残念。
そして、サールナートの遺跡ではいちるさんがみやげ物売りの子供を気に入ってしまい、わざとボられてお土産を買ってあげてました。その後その子供はしれっと同じお土産を売りつけにきましたが。
サールナートでは、電車の中で会った日本人学生と再会。
踊りを見たい!」といわれて、お坊さんが厳かにお祈りをしている巨大ストゥーパの後ろでまた踊ってしまいました。罰当たりな俺達・・
そして、日本寺でを訪ねたあと、一回ホテルに戻りました。

ホテルに戻る車の中から街を見ると、なんか浮かれてます。そう、明日は年一度の北インド最大の祭り、ホーリー。今日は前夜祭なのです。すると、店から店に回っている笛や太鼓の一団が見えたので、速攻車を降りて遊びに行きました。お金をすこし壷にいれてあげたら、太鼓を鳴らして盛り上がったので、集団の真ん中でまたもや踊りましたwすげー盛り上がって喜んでくれました。その間、道路は通行止めでクラクション鳴りっぱなし
その後、なんか難しい顔したおじさんがこっちにきて怒鳴ってきたので、怒られた!と思って速攻引き返したのですが、後で聞くと「チャイを飲みにうちの店によらないか」と誘ってただけということ。ああ、いい国だwww
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ホテルに戻って、デリーで買った色粉を顔に塗ってホーリー体勢でガンジス川へ。ガンジス川へ通じる小道が薄暗く、迷路のようにごちゃごちゃしてて、混沌とした雰囲気をかもし出してます。
そして小道を抜けてガートに出ると、いきなりガンジス川の光景が目の前に広がります。
寺院から聞こえる鐘、お祈りに来た人々のざわめき、こちらの岸の賑わいに対して 、対岸の荒涼とした風景。そしてその上の満月
なんというか、生と死を何千年も見守り続けてきた聖地独特のオーラみたいなものに、心底感動して呆然としてしまいました。いやー、すんばらしい・・・
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ちなみに、ガンガーで撮った写真には、たまゆら(丸い白い光)がやたらと写ってます。

やっぱ聖地だし。
小船に乗ろうとすると、花の上にろうそくをおいた灯篭流しの灯篭のようなものを男の子が売りにきたので、それを2人で4つ買って船に乗りました。灯篭を一個流すとそのときの願い事が一個かなうそうです。雰囲気ありましたねー・・。
そして、船から見るガートのお祈り風景。音楽を流したりしてとてもにぎやかなのですが、やはり荘厳です。すばらしい。二人して言い知れぬ感動を覚えました。

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そんで、感動の勢いを買って、沐浴タイム。頭からたっぷりガンジス川の水を浴びました

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それが次の日あんなことになろうとは・・・
ガートではとりあえず踊っておきました。ガンジス川の川辺で踊るのも旅の前にひそかに狙ってたのですよ・・。
ガートで飲んだチャイもめっちゃうまかったです。しばらくガートでガンジス川を見て浸っておりました。

帰りは同じ小道を戻ったのですが、うしろからサドゥー(苦行者みたいなもの)がてくてくついてきます。はっきり言ってサドゥーは乞食と見分けがつかないほどばっちい身なりをしてるため、(また物乞いかよ)とちょっとうざかったのですが、小道で鳴ってた音楽にあわせて俺らが踊ると、サドゥーもふんどしを持ち上げて真似て踊りだしましたww
ちょっとお金をあげると、上機嫌になって、シバ神の祝福のポーズをとりながらどこかに消えていきました。
もっと絡んでおけばよかったなww

そして、ホテルに戻りました。明日はいよいよホーリーです。
インドの中でもバラナシは最も盛り上がると言われているゆえ、どのようになるのか・・
俺らの旅も佳境に差し掛かってきました。

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2006年4月 5日 (水)

インド旅行記3:アグラ

さて、朝はホテルで朝食(カレー)をとって、車でアグラに移動。
途中で、大きなホテルで昼食(またカレー)を取り、車においていかれそうになりながらも出発から5時間ほどして、タージマハールに着きました。

駐車場からタージマハールまでは、馬車で連れて行ってもらいました。道にみやげ物屋が並んでいて、いかにも観光地。

タージマハールは大きな門を2回ほどくぐった後にお目見えするのですが、門をくぐってタージマハールを目にした瞬間、二人で「おおお~~~~~~~!!!!!」
と叫んでしまいました。
白い大理石で作られているタージマハールは、さすが世界で最も美しい建物と呼ばれているだけあって、この世のものとは思えない雰囲気をかもし出してました。インド来る前に写真で飽きるほど見てお馴染みなはずなのですが、実物は迫力がまったく違います。やっぱ百聞は一見にしかずとはこのことなのね・・

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写真を一通り撮った後、タージマハールの中を見学しました。
タージマハルって、ムガル帝国の王様が奥さんのために作ったお墓なんですよね。なので、外観はでかいんですが、中は広間の真ん中に棺おけが置いてあるだけです。ただ、やっぱり壁の彫刻などは細かくて、ちょっと感動しました。
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下は大理石、すべすべしてる・・・・と思った瞬間、罰当たりな我々はタージマハルの上でブレイクダンス!しかも、いちるさんは警備員に見つかって注意されてました。客には受けてたからいいですよねwwwww

タージマハルの後はアグラ城というところに行きました。赤茶色い城壁の城で、タージマハル建設で金を使いすぎた王様が幽閉されていた場所なのですが、ここから見るタージマハルの風景が、まじでドラクエの城っぽかった。と、いうか、アグラ城そのものがドラクエの城っぽくて、面白かった。

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夜はツンドラ駅というところから、寝台列車に乗車。
てか、列車3時間も遅れやがったww
駅で日本人の学生さんと知り合いになり、イロイロ雑談して待ってました。
しかし、列車が着くと、必死になって走って乗り込みます。
というのは、インドの列車は前触れなく発車してしまう上に、車両間の移動がしにくいのです。
2等車の車両はラッシュの山手線なみにびっちり人が乗っててげんなりしたのですが、俺らの車両は上等なところだったようで、そんな混み方はしてませんでした。
まあ、予約してた寝台にはなんか知らない人が寝てましたし、隣では2台のベッドに4人寝てましたがww

そんな感じで、次の朝にはいよいよバラナシに着く予定なのです。

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インド旅行記2:デリー

E島さんちで2時間ほど寝て、E島さんとE島さんの長女(6歳)を案内人に、デリー市内観光に出ることにしました。
 まず、インドの官庁街を見に行ったのですが、外務省とか、財務省とか異様に立派。イギリス総督府時代の威厳が残っております。
 ホテルに荷物をおいて、地下鉄でコンノートプレイスからチャンドニーチョークに出て、オールドデリーへ。地下鉄は日本の援助で去年くらいに開通したらしく、とてもきれい。しかし、地下鉄を出ると、そこは混沌。一気にインドらしくなります。
ごちゃごちゃした小道、人の群れ、埃っぽい空気。
特に道路は、野良牛と、野良犬と、オートリクシャサイクルリクシャで混沌としてます。まあ、交通法規なんてあったものじゃないです。逆走とか普通にするし。そりゃ死亡事故率世界一を誇るわけだわ。

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ほんで、サトウキビジュース売りのおっちゃんにジュース造ってもらったり一通り見て、スパイスを売ってる市場に行こうということになり、E島さんに導かれ、サイクルリクシャに乗って、普通旅行者は来ないというオールドデリーの奥まで行きました。

その間、E島さんにはインドのいろんな話を聞かせてもらいました。今、環境関係の仕事もしているが、ガンジス川の汚染度は、場所によって日本の下水処理場の処理前の汚染度に匹敵するところがあるとか、下水道の未整備のためにガンジス川の汚染度は年々悪化しているとか。さすがのインド人も聖なる川の汚染を問題視してるそうな。それと、インドは男尊女卑がすごい国らしく、特に田舎では、だんなが亡くなったら、奥さんも生きたまま一緒に焼いちゃうというとんでもない風習があるそうです。また、婚前交渉は厳禁で、婚前交渉をした娘や不倫をした女性はやっぱ家族に殺されちゃうという習慣がある地方もあるそうです。で、男はどうかっていうと、ノー問題だそうで、理解しかねますな。あと、嫁の家は莫大な貢物をダンナの家にしなくてはならないらしく、女の子を複数持つ家は、マジで破産を心配するそうです。さらに貢物が足りないと旦那側が思ったら、いびり殺して次のヨメを探すとかで、もうむちゃくちゃですね。もちろん、女の子が生まれて嬉しいはずがなく、性別が分かった時点で堕胎したり、赤ちゃん殺しが横行してるそうです。当然国際的に問題になっててそのような習慣は撲滅しようという動きになってるようですが。

市場を見ながらてくてく散歩してたら、突然E島さんが、「ここで踊ってよ!」といいだしました。ここって、インド人が露店だしてる普通の道路ですが・・。まわりにインド人がしこたま歩いてますが・・。ちょっと戸惑ってましたが、特攻隊長いちるさんが踊りだしました。するとインド人が周りに集まる集まる。ほんで交代しておいらが踊りました。ちょっと素手で地面を触るのがいやでしたが・・・。

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しかし、突然道端で踊りだした外人をインド人は眉をひそめるわけでもなく好奇心で受け入れてくれ、その後しばらく子供達がぞろぞろとついてきました。インド人はみな踊り好きなようで、その後の旅では踊りがいいコミュニケーションツールになりました。ほんで俺らの中では、各名所で一回は踊るというのが旅のテーマになりましたw
スパイスを店のおっちゃんから買い、ホーリー用の色粉を買って、昼飯を食いに街のレストランへ。E島さんお薦めの庶民向けのレストランで、マトンカレーと野菜カレー、マトンのから揚げなどを食べました。これがうまい!さすがにインドはスパイスの使い方がうまいです。うまうまとこのときは良く食べました。しかし、この後、毎食毎食のカレーにやられてしまうことになるとは・・・。アフターミントというのをこのとき初めて食べましたが、なかなかいけますね。
その後は、デリーの観光名所である、イスラム寺院のジャマ・マスジットへ。ここで、デジカメで人々の写真を撮らせてもらったのですが、みんな撮った写真を見せると喜んでくれます。ここでも子供達がぞろぞろついてきて写真を撮られたがりました。かわいいので、つい撮っちゃうんですねw。デジカメも旅でのいいコミュニケーションツールになりました。

夕方は、みやげ物市場のディリー・ハートに行き、そこでE島さんと別れました。すごくお世話になりました。E島さんの長女もとてもかわいかった^^
ディリー・ハートでもおみやげ物を買い、自力で初オートリクシャーにチャレンジ。行き先を「マリーナ・ホテルへ」と告げて、発車したのですが、着いた所は
マンダリン・ホテル」。
全然違うじゃん!!!
抗議すると、「いや、似た名前だし、ここでいいじゃん。どうせ近いだろ。」
いやいやいや、勘弁してよ(泣
さらに粘ると、しかたなく、発車。
あてどもない走り方は、どうやらホテルの場所が分からないらしい・・・
外は真っ暗、俺らも今の場所が把握できず、めちゃめちゃ不安が募ります。
リクシャのうんちゃんは、リクシャ仲間にホテルの場所を聞き始めました。もう、ほかのリクシャに乗り換えようかなと思ったところ、「うし、分かった、乗れ!」
ともかくリクシャのうんちゃんを信じて乗ってみました。コンノートプレイスの見覚えのあるエリアに着いたときにはほっとしましたよw
なんとかホテルについて、明日エスコートしてくれるというインド人と打ち合わせ。グプタさんという名前で、誠実そうな印象。打ち合わせがおわったあと、E島さんのお薦めレストランの「クオリティ・カフェ」で夕食。ビールでハードだった一日をねぎらいました。丸底フラスコで出てきたコーヒーがめっちゃうまかった。
帰り道、窓から煙をだしたバスが止まってました。バラナシでテロがあった後だったので、ちょっとびびったのですが、まわりのインド人は平然とリクシャの客引き。さすがです。
明日はタージマハールだ。たのしみたのしみ。と、眠りについたのでした。

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2006年4月 3日 (月)

インド旅行記1:飛行機

3月中旬に、小鳥ピヨピヨというブログを運営してる友達のいちるさんと2人でインドに行ってきました。

非常に楽しく、エキサイティングで、印象深い旅でした。

いちるさんもいくつかインド記事をアップしてますが、僕は記憶がまだ新しいうちに、インド旅行記を記しておきたいと思います。

小鳥ピヨピヨさんと一部重複してたり、記述が若干違うところがありますが、そこはソレ、大目に見てくださいな。

まずは、成田空港から。

エアインディアで、昼の12:30に出発するはずだった飛行機が、前日に1時間遅れになりますという連絡を受けました。集合も一時間遅れると聞いたので、一時間遅くいったら、従業員からこういわれました。

「あらチェックインは定刻どおりですよ。もうブース閉まってるみたいです。急いで。」

おいおいおい!言われたとおり来ただけじゃん!あせって走ってブースに行ったら、開いてました。

従業員の言葉「あら、たまにこんな風に脅されるんですよ。すいませんねえ」

エ(゜д゜;;)エエ工そんなばかな・・・

そして、改めて出発時間を確認したら

「あ、遅れてますよ。5時間遅れですね。」

エエーーーー!!1時間じゃなかったっけ!!

その後見る見るうちに6時間遅れになりました。エアインディア、恐るべし・・・

その間、空港で待機。仕事で徹夜明けで来ているいちるさんは、すでにこの時点でつかれきった顔をしてました。
空港のゲートで飛行機を待っている最中、キャミを着てピンヒールを履いたギャル2人組が歌を歌ってパラパラの練習をしていました。
おれ「・・・・あれ、インドいくんすかねえ・・・」
いちるさん「いや、ぜってえ違うだろ。それより迎えに来てくれるはずの友達(E島さん)が来るかどうか心配だ」

一応、空港でメールを送りましたが、見てなければアウトです。

そして飛行機に乗った後も1時間遅れ、結局7時間遅れで出発となりました。20:30到着予定が、朝の3:30到着予定ですよ・・・・待っててくれるかなあ・・・・

ところで、くだんのギャルも、同じ飛行機です。
おれ「あのギャル乗りましたよ。」
いちるさん「いや、途中のタイで降りるよ。インドまで来たらまじリスペクト。」

飛行機はバンコク空港につきました。
ついた途端、ギャル達は携帯チェック。
ギャル「えー、電波ないよ。」
はあ????えーと・・・突込みどころが多すぎますが・・
そして、飛行機を降りようとしません。そこで、恐る恐る声をかけてみました。
おれ「インド行くんですか」
ギャル「はい、そーです
おおお!!!おれといちるさんは思わず顔を見合わせてしまいました

ところで、インドは性的に非常に保守的な国だそうで、若い男女が並んで歩くだけで田舎ではスキャンダルものというお国柄だそうです。事前に旅行書でお勉強したところによると、
・インドでミニスカートは心象を悪くするのでNG
・外国女性はみなふしだらだという偏見をもったインド人もいるので、肌を露出した格好はしないこと。
・牛糞などで歩きにくい道も多いので、歩きやすい靴(サンダル・スニーカー)で来ること。
Shibuyagal_1_2

・・・・目の前のギャルはこの3点を軽く超越しております。

おれ「えー・・あの、インドって道に牛糞たくさん落ちてるみたいですけど、ピンヒールで大丈夫ですか?」
ギャル「ええ~~~道に牛が歩いてるんですかあ??」
えええΣ(゜д゜)もちょっと予習してこようよインドだよ?
おれ「なんでインド来ようと思ったんですか?」
ギャル「旅先で一緒になった人が~、インド面白いよっていうから~」
おお!このハンパないユルさ!
無知は強し・・・

しかし、いわゆるガングロヤマンバ系ではなく、かわいいかっこしたかわいい性格のギャルだったので、インド人スチュワーデスや機長などには受けが良く、俺らと扱いがまったく違っておりました。これを見て、おれといちるさんは「ジャパニーズギャルはある意味最強なのかもしれない」とか、「あんなに警戒してインドに出発した俺らがバカみたいっすね」とかイロイロと言い合ってました。
この時点ですでに世界観がちょっと変わりましたw インド恐るべし。

デリー空港に着いたのは午前3時半すぎ。
空港を出た瞬間、インド人に声をかけられてマジびびりましたが、E島さんが迎えに来てくれてて、助かりました。
いやー、E島さんが着てくれなかったら、いきなり深夜の試練でした。マジ感謝。
その夜はE島さんのお宅に泊まり、朝からデリー観光という強行スケジュールでインドの旅は始まりました。

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